日々

日常の癒されたこと、楽しかったことのメモ

#05 背負っているものが言葉に出る

クニツキの妻子はまだ見つからない。

捜索の合間に、また小さなカフェに入る。

この小説では、よくカフェと思われる場所で男たちがビールを飲んでいる。

ポーランドの風景なのだろうか?

そこでは誰も彼に関心がなく、安堵する。

人々の顔の、細かい差異の一切がぼやけてゆく。

クニツキはそこに加わり、どこかに連れて行ってもらうことを願う。

 

自分が、誰でもなくなること、

何も背負わなくて良い存在になる心地よさは、よくわかる。

都市にただよっている、独特の安心感だと思う。

じゃあ、その都市に生活を置き、

そこに役割を生み出してしまったらどうすれば良いんだろう。

そうやって人は、もっと遠くへ旅に出るのかもしれない。

 

場面は変わる。

„私”が再び登場し、旅に出かける。

彼女は、出入国でパスポートにスタンプを押され、

ホテルのフロントで鍵を渡され、

はじめて一人の存在として表れはじめる。

私たちは、場所や、言語、一日の中の時間、都市、気温とか

そういったものに従属している。

つまり、不変の存在ではない。

 

じっさい私が人との相性を汲みとる際、

その大きな判断材料になっているものの一つに、言語がある。

言葉は、人の日ごろの心がけをよく反映している。

祖父母は、江戸弁で威勢よく話す。

彼らのあけすけな性格は、怖いけれど私は好きだ。

しかしそれを間近で見ていた彼らの娘は、人一倍丁寧な言葉で話すようになった。

よって、人一倍丁寧な言葉で話す男と結婚した。

そして私が実際に惹かれるのは、

男女ともに、穏やかに、慇懃なほど丁重に話す人間だ。

 

今日はどんな言葉を選択して、どのように話しただろうか。