日々

日常の癒されたこと、楽しかったことのメモ

余白は心を耕してくれる

5/20(土)

 

ここ数年で、春と秋は絶滅して、夏と冬だけが残った。

そう断言できるほど最近の気候は極端だけど、唯一、梅雨前のこの時期だけは外を歩くのに適した季節だ。

夕方になり、薄紫色のカーディガンを羽織って、夫とふたりで神楽坂を歩いた。

提灯や暖簾の立ち並ぶ路地裏に分け入って、とある鉄板焼きのお店に向かう。

細い砂利道を進むうちに、何やらピーヒョロヒョロと祭囃子の音色が耳に入る。

「お!なんか神楽坂っぽいね!」なんて言いながら夫の手を引いて音のする方へ駆けてみると、毘沙門天の祀られている大きなお寺が現れた。

人だかりの向こうでは横笛や和太鼓が盛大に打ち鳴らされ、赤い大きな拝殿で、和装とも洋装とも言えない真っ白な衣装を着た女性達が、髪をバッサバッサ振り乱しながら踊っている姿が見えた。

その異様な光景を前にして、私はしばらくその場で立ちすくんでいた。

でも、私のお腹の音も迫力満点にグーグー鳴っている。

予約の時間も近づいているので、いそいそと鉄板焼きのお店に向かった。頭の中ではすでにジュージューと肉の焼ける音と匂いが広がっていた。

 

鉄板焼きのお店では、コース料理を頂いた。

キラキラ輝く食材たちがお皿の上にちょこん、と乗せられて、ゆっくりと順番に運ばれてくる。

一品平らげるごとに、素晴らしいお皿だった、次はどんなお皿がやってくるのだろう、などと心も会話も弾んでしまう。

そしてやはり、活きの良いアワビや黒毛和牛のステーキなどが、大きなお皿の上で慎ましい芸術作品のような姿となって現れるのだ。

そのいじらしい姿を見て、大切に味わわないといけない、と、思わず背筋がピンと伸びる。

そんなお互いの姿を見て「ああ、幸せな時間だね」なんて言い合って笑ったりする。

お皿の余白や、時間の余白が、私たちの心を耕してくれたのだ。

 

考えてみれば、予約時間より少し早めに現地に着いたからこそ、先ほどの異世界のようなお祭りに立ち会うことだってできた。

余白は無理に埋めるものではなく、豊かさの象徴であることを学んだ、良いディナータイムになった。