日々

日常の癒されたこと、楽しかったことのメモ

花束の重み

旅から帰り、気絶するようにベッドに倒れ込んで久々に熟睡をした。泥のように眠りに眠って朝の九時ごろ、インターホンの音で目を覚ます。そそくさと対応してくれた夫に何を頼んだのか尋ねると、彼は奥二重の目をしぱしぱと泳がせて、白々しくごまかした。別に彼宛の郵送物を私が把握している必要性などどこにもないので、それで良い。でも会話の切り口が流れ去ってしまうことは、少しだけ寂しい。

 

夏用の麻のスリッパを履き、ペタペタと洗面室へ入って顔を洗って歯を磨く。この季節は、蛇口から流れ出るひんやりとした水が気持ち良い。身も心もキリッと引き締まるこの冷感は、なんだか幸先良い一日のスタートを切れたような、爽快な気分をもたらしてくれる。

 

さっぱりした心持ちでリビングへ戻る。するとそこには夫が待ち構えたように立っていて、両手いっぱいの大きな黄色い花束をぶわりと私に差し出した。実はこの日こそが、入籍してきっかり一年が巡る記念日だった。

お祝いの旅行は既に済ませたから、今日は一日何もせずのんびり過ごしていよう、私はそう心に決めていたので、彼の花束は完全なる不意打ちだった。記念日にさほどこだわりのない夫は、わざわざ私を喜ばせるためだけに日にちを指定して、私の好きな黄色い花束を注文してくれたのだろう。その大きな花束を抱えると、彼のそんな気遣いが、ずっしりと両腕に伝わってきた。

私は彼の、些細なことでも歩み寄ってくれる姿勢をこの上なく尊敬している。夫婦生活には別に尊敬など無くても良いのかもしれない。でも私は、どうやら深い人付き合いにはいくらか尊敬の念を欲しているようで、約三十年ほど生きてきてようやくこの下心を直視できるようになってきた。相手からすればそのつもりもないのに勝手に尊敬の念を抱かれるなんて、はた迷惑な話かもしれない。もっと人生経験を積めば、この類の下心は消え去ってくれるのかしら。

 

そのあとは思い思いに読書をしたり、買い物に出かけたりしてゆったりと過ごした。夕食にはトウモロコシやミョウガを入れて、さっぱりと夏用にアレンジしたおでんを作った。冷房の効いた部屋でおでんを食べるのは、こたつに入って雪見大福をほおばるような背徳感があって気に入っている。昆布と手羽中で出汁をとり、塩で軽めに味を調えた温かいおでんは、強い日差しや冷房で疲れた胃に優しく沁みて、二人ともあっという間に平らげてしまった。

ふだん小食な夫はお替りまでしてくれた。彼の分かりやすい反応は私に小さな自信と安心感をもたらして、これからの日々も一緒に寄り添って暮らしていきたいと、心に明かりを灯してくれるのだ。

歩み寄りの姿勢だとか態度で感謝を示すだとか、口で言うのは容易いけれど、人から実際に与えてもらって初めてその尊さや実践することの難しさが分かる、そんなことを考えた一日だった。