日々

日常の癒されたこと、楽しかったことのメモ

ウエルベック『セロトニン』

「ぼくは一人の女性を幸せにできたかもしれない」

ウエルベックといえば、愛が手に入らないことの苦しみを書く作家。

上記の一節は本作品からの抜粋で、ウエルベック文学の集大成ともいえる本書の内容がよくまとめられた一文だと思う。

物語はエリート階級に属する日本人女性ユズとの別れを皮切りに、かつて愛した女性たちとの別れ、両親との別れ、親友との別れをプルーストの小説よろしく並び立て、展開させる(現に本書ではプルーストへの言及がなされている)。

今までの作品と違う点は、登場人物たちは一切愛情やつながりを求めることはせず、絆を諦め続けるストーリーであるということだ。

ただし、諦めてもなお、さらなる絶望が襲い掛かる。主人公フロランは今まで築き上げた思い出にとらわれ、苦しめられる。彼に残された救いは小さな抗うつ剤、キャプトリクスしかない。鬱病患者の処方薬依存の描写にはかなりのリアリティがある。

 

また、ウエルベックの作品は現代社会をよく映しだす鏡のようでもある。

主人公は農業技官であり、親友エムリックはフランスで良心的な農家を営む、両者とも上流階級出身の人間だが、同じようにフランス一次産業の衰退のあおりを食らって没落してゆき、ストーリーは目も当てられないほど悲惨な方向へ進んでゆく。

これは決してフィクションの中だけの話ではない。

実際、自由貿易がフランスの農業を壊滅させたおかげで農家の離職率や自殺率は高まる一方で、実際平均二日に一人が自殺し、農業従事者は半分になるだろうと予測されている。

 

現代で社会的階級を得たとしても経済は思っている以上のスピードで移ろい、安定は存在せず、誰しもが孤独と対峙しながら生きながらえていなればならない。

 

一点、個人的にウエルベックを擁護(?)したい点がある。彼は差別的作家とレッテルを貼られ、批判されている意見を目にすることも少なくない。

この作品でも日本人女性のユズを「日本人は顔を赤らめない、精神構造上は存在しているが、結果はむしろ黄土色がかった顔になる」とか「日本人女性にとって〔…〕西欧人と寝るのは、動物と性交するようなものだ」だとか、どこからサンプルを持ってきたのか分からないような描写がある。

実際、ウエルベック作品は偏見に満ち溢れているけれど、仮に彼自身が偏見に満ちた右翼の国粋主義者であれば、主人公の西洋男性をこんなにも醜く、哀れで愚かしく描くことはない。ウエルベックは偏見に染まった西洋の中年男性を鋭いまなざしで観察し、描写することによって批判し、問題提起していると考えられる。

ただし、そのせいで前作『服従』ではイスラームを揶揄する発言のせいで警察の保護下におかれ雲隠れしなくてはならないような状況になったり、メルケルが移民受け入れを提起した際に『服従』が引き合いに出されて反論されたこともあるので、こういった点は今後の文学界でも追及するべき興味深い点かもしれない。